ここは金山であり、慶長二年(一五九七)大久保長安が金山奉行に着任した頃に最盛期を迎えていた。
大久保長安とは武田信玄に見出された人物で、武田領における黒川金山などの鉱山開発や税務などの庶務の行政官を任されていた。
徳川家康が武田攻めの際、休むために使った場所が長安の建設したものだと知ると、その才能を見抜いて家康は信玄没後に長安を仕官として招き入れた。また一説では信玄に認められた優秀な官僚であり、金山に感する才能を家康に売り込んだとも言われている。
そんな長安は、石見銀山、佐渡金山、大仁金山、土肥金山を始め、全国の金銀山に携っていった人物である。
今はひっそりと山中に埋もれてしまっているが、この金山には長い歴史の、
時間を越えたロマンがあるのではないだろうか。
見所が少ない場所ではあるが、歴史を知った上で見てみると趣がある。
こんな山奥にそんな実話が存在していたとなると、その思いもなかなかのものである。
廃墟といっても、様々なジャンルが存在する。
ほとんど遺跡という感覚で放置されているのが、私としてはかなりツボだったりする。
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